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Voltati Eugenio ユージェイニオ/誰も僕を欲しがらない

イタリア映画 (1980)

ルイジ・コメンチーニが少年を描いた作品。『天使の詩』では、父から誤解され悩む少年の姿が切々と悲しく描かれたが、この映画では両親や祖父母の勝手な都合で、誰からも相手にされなくなってしまう、言葉を変えれば、関心さえ抱いてもらえない少年の姿を、カラっと描いている。少年を演じるのはフランチェスコ・ボネッリ(Francesco Bonelli)。この映画の中で本人が映画の要所要所でバックグラウンド的に歌う 「僕はここにいる(Ora sono qui)」 という決して上手ではない歌が、この映画の本質をついている。「♪どうしてこうなったんだろう。でも、僕はここにいる。あっち行ったり、こっちに行ったり、食べて飲んで眠って。だけど なぜなんだろう。僕は去って行くしかない。誰も面倒を見てくれないから」「♪どうしてこうなったんだろう。でも、僕はここにいる。誰も僕を欲しがらない。だからこうしてここにいる。少しでも気に入るものがないか、僕はあちこち見て回る。自分で捜すしかない、他の人にとって、僕は邪魔か、どうでもいい存在だから」。何とも寂しく悲しい歌だ。少年ユージェイニオが悪い子だからではない。両親が大学生の時、衝動的な恋の結果、「できちゃった結婚」をした結果、「子はかすがい」ではなく、「重荷」でしかなかった。愛が冷め、お互いに愛人を持つようになっても、ユージェイニオのせいで離婚もできない。2人にとって、ユージェイニオは、愛人と暮らすためにも、邪魔な存在でしかなかった。母の両親だけはユージェイニオを庇うが、もう一人の自分たちの娘に頼まれれば、ユージェイニオを捨ててオーストラリアに行ってしまう。父の両親は祖父が痴呆状態で、ポーカー仲間の元提督と付き合っている祖母は、そもそもユージェイニオに会うことすらしない。ユージェイニオが落ち込んでいく八方ふさがりの状態を、映画は非常に珍しい手法で描いている。映画の冒頭、祖父の家にいるユージェイニオを父親の元に届ける役を頼まれた父の友人(風刺新聞の編集長)が、変人で、父(と愛人)の元に行きたくないユージェイニオがラジオを大音量で付けただけで、辺鄙の地で強制的に車から下ろし、そのまま帰ってしまった。それを知った父が、息子の捜索にやっきになるのだが、映画はその過程を追うわけではない。逆に、過去に戻り、父母の出会いから、直近の話までを時間軸に沿って追って行く。それは現実と交錯する形で6回にわたって続き、映画の本編1時間41分33秒のうち、実に1時間9分15秒(3分の2)にのぼる。

映画の内容のおおまかな紹介は、時間軸に沿って記述しよう。ジャンカルロは海軍提督を父に持つ裕福な家庭の出身。ただし、母親は、恐らく格下の家の出らしく、物欲は強くても精神面は単純で脆弱。だがら、ジャンカルロは金銭感覚に乏しく、愛を知らない青年に育った。一方のフェルナンダは、田舎の農園主の長女として生まれ、口うるさい父と、物分かりのいい母に育てられ、自由闊達で独立心の強い女性となった。2人は、恐らく同じ大学に通い、学生運動に参加し、避妊薬を信用してセックスし、本当に好きかどうかも分からないうちに赤ちゃんができてしまい、結婚することに。しかし、性格や行動規範の不一致はすぐに表面化し、産まれたばかりの赤ちゃんと一緒に電車に乗っていて、口論の挙句、赤ちゃんを電車に置き去りにして降りてしまう一幕も。この電車の旅は、恐らく赤ちゃんをフェルナンダの祖父母に預けるためだった。だから、電車に「忘れて」きたとの電話連絡が入ると、祖父が駅まで引き取りに行く。以来、2人の一人息子のユージェイニオは、ほとんどの時間を祖父母の農園で送ることになった。父は自分の母に会いたくなかったので、ユージェイニオは父方の祖父母と会うことは、赤ん坊の時以来絶えてなかった。それから、映画はユージェイニオが10歳になるまで飛ぶ。祖父母の家いるユージェイニオに会いに父と母がやってくるが、朝、ユージェイニオが起きる前に帰ってしまう。次に父母がやって来た時は、ユージェイニオを父のアパートに連れていくことが目的。祖父母の家から離れることを頑強に拒むユージェイニオを説得したのは、母だった。農園で友だちになっている3匹の動物を一緒に連れていく、という条件で。ただ、この時、両親は、もう別居している。ユージェイニオがローマの父のアパートに移ると、真っ先にしたのは大事な動物の餌の確保。その時、八百屋で働いていた貧困家庭のゲリーノ少年と親しくなる。ユージェイニオの父は定職についてなく、TVの修理を請け負って生計を立てている。ただし、金持ちの両親から一定額の送金を受けていたのかもしれない。ユージェイニオの母は、美術関係の企画担当のような仕事をしている。ユージェイニオがローマに着いた明くる日には、母に電話が入り、2ヶ月間仕事が入ったと、スペインに飛行機で去って行く。その代わりに父のアパートにやってきたのがミレーナという女性。父の愛人だ。ユージェイニオにとってはショックだったし、ミレーナが大嫌いだったが、父のそうした態度は許容した。じきに母から電話が入り、スペインに来いという。ユージェイニオは、父から闘牛が面白いと言われ、行く気になる。スペインに着いたその日、ユージェイニオは、自分の泊まるホテルの部屋に、前夜、男が泊まっていたらしいことに気付く。父だけでなく、母も愛人を作っている。ユージェイニオの心は複雑だ。ユージェイニオは、闘牛が見たくてスペインに来たので、母の反対を押し切って見に行く。しかし、あまりの残虐さに閉口する。父が、スペインに一度も来たことがないのにユージェイニオに闘牛を勧めたのは、愛人と2人だけで過したかったからだ。その身勝手さをユージェイニオに気付かれたと思った父は、ローマから2000キロ以上離れたマラガまで車で駆けつける。その時、3人の家族はうまく行きそうに見えた。しかし、翌日、母の仕事現場でトラブルがあり、それを見ていた父がカッとなって母の雇い主を殴ったことから、すべてはご破算に。ローマに帰る車の中で、父は、自分の父親が死に、両親が住んでいた家が自分のものになったと打ち明ける(母親は、亡き夫の親友のトリスターノ提督とくっついた)。母は、新しい家で、「主婦」としてやってみようと決意するが、この試みは、夫の「亭主関白」と、妻の「自立心の高さ」でつまずき、クリスマスに爆発する。客が帰った後、夫婦の間で大喧嘩が始まり、最後は、夫が出て行く。ユージェイニオは、自ら祖父母の家に行く。夫の家には、完全に仲違いした妻がそのまま住み着き、女友だち4人を呼んで一緒に暮らしている。そんな状況下で、オーストラリアに嫁いだ祖父母の下の娘に赤ちゃんが産まれることになり、祖父母はその世話に出かけることになる。ユージェイニオを預かっていられないので、父に引き取りを依頼、父は来られないので友達のバッフォを迎えにやる。ユージェイニオは、父とミレーナと一緒にロンドンに行くと知り、行きたくないので、バッフォの車の中で非常に不機嫌だ。何度もラジオを最大音量にしている間に、バッフォも頭に来て、何もない田舎でユージェイニオを強制的に降ろしてしまう。そのことを知った父は、関係者全員に連絡するが、行方はつかめない。しかし、一夜開けて、一軒の農家から連絡が入り、ユージェイニオが納屋にいるのが発見される。全員でユージェイニオを迎えに納屋まで出向くが、誰が引き取るかでもめ、引取り手がいないことが分かる…

あらすじで、黄色の枠のある写真は「現在」を、枠のない写真は「過去」のシーンに該当する。「現在」のシーンでユージェイニオが出演するのは、映画の冒頭と最後のみ。「過去」のシーンは時系列順に並んでいる。従って、「過去」のシーンの最後が「現在」の冒頭へとつながっていく。なお、あらすじの会話は、イタリア語字幕に準拠した(英語字幕に間違いが多いため)。

フランチェスコ・ボネッリにとって、この映画は、初出演・初主演で、かつ、子役時代唯一の作品。ローマ出身だが、ややブロンドがかった茶色の髪の少年だ。映画出演時は恐らく12歳。非常に辛い役のはずなのだが、あまり感情が露に出ていない。非常に覚めた性格設定がされているので、これでいいのだろうが、『天使の詩』のルイジ・コメンチーニを期待して観ると、あまりのドライさに意表をつかれる。


あらすじ

父母の決裂が決定的となり、ユージェイニオはこれまで何度も訪れた母方の祖父母の家に自分から「避難」していた。しかし、祖父母が数ヶ月オーストラリアに出かけることになり、そこには住めなくなる。仕方なく父が引き取ることになり、一緒にロンドンで暮らそうと、昔からの親友バッフォに車で迎えに行ってもらう。しかし、ロンドンでの生活は、父の愛人ミレーナ〔ユージェイニオを好いていない〕との3人での生活となることから、ユージェイニオは行きたなくない。ただし、映画ではこうした事情は一切紹介されず、いきなり、車内シーンから始まる。バッフォ:「パパと一緒にイギリスに行くの嬉しいか?」。ユージェイニオ:「ううん」。「じゃあ、なぜ行くんだ?」〔この言葉は、無責任だが、結構重要な含みがある〕。ユージェイニオは、子供には自由な選択肢がないのに、何をバカなことを言うんだといった顔で、バッフォをじっと見る(1枚目の写真)。そして、大人の無責任さに腹が立って、カーラジオをつけ、最大音量にする。「音を小さくしろ」。この時は、素直に音を小さくする。「バッフォ(Baffo)って名前、その口髭(baffi)からなの?」。「そうだ」。「剃っちゃったらどうするの? 名前変えるの?」。「下らん質問はやめろ」。「だけど、口髭があるからバッフォって名前なんだって、言ったじゃないか」。そういうと、また音を大きくする。「ラジオ、消してくれんか?」。何もしない。「消すんだ!」。それでも消さないので、バッフォが自分で消す。「仕事は何なの?」。「こき下ろして、笑ってやるんだ(Pratico il vilipendio. Faccio ridere)。諧謔家だな」〔実際は風刺専門新聞の編集長〕。「さっぱり分かんない」。ユージェイニオが、またラジオを付けて音量を上げ、バッフォが下げる。「いいか、俺が君をお祖父さんの家まで迎えに来たのは、父さんに頼まれたからだ。分かったか? ロンドンに行きたくなくて、父さんに怒ってるのなら、さよならすりゃあいい。簡単だろ」。これは、以前の「じゃあ、なぜ行くんだ?」の発展版だ。設定年齢10歳の少年に、どうやったら「さよなら」できるというのだろう。この無責任発言に反発して、また音量を上げようとするユージェイニオに、バッフォは「やめるんだ。さもないと、放り出すぞ」と警告する。「見て見たいな」とスイッチに触ろうとする。「放り出すぞ!」。「もし放り出しても、どうせ戻って来るんだろ」と言って、ユージェイニオは音量をMAXに。バッフォは、何もない田舎のど真ん中で車を止めると、「降りろ」と言って、ユージェイニオが座っている助手席のドアを開ける。「ホントに降りちゃうよ」。「降りろ」。「降りるの?」(2枚目の写真)。「降りろ」。どうしようかとノロノロしているユージェイニオに、容赦なく「降りろ!」とくり返す。ユージェイニオが車から出ると、バッフォは車を発進させる(3枚目の写真)。加速して走り去る車を 唖然とした顔で見送るユージェイニオ(4枚目の写真)。車は2度と戻って来なかった。
  
  
  
  

バッフォの新聞社の入口には、「この場所は刑事上仮差し押さえされているため、何人も立ち入りは許されない」との張り紙が。ローマ教皇庁の半公式新聞「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」より発行部数が多かったのからか、内容があまりに過激すぎたからかは分からないが、編集長としてマスコミに対応している最中に、ユージェイニオの父ジャンカルロが現れる。父:「バッフォ」。バッフォ:「何の用だ?」。「何の用だって? 息子はどこだ?」。「降ろした。ロンドンに行きたくないとさ」。「なあ、冗談なしだ。飛行機に乗り遅れる」。「落ち着けよ。彼なしで行けばいい。嬉しくないのか? ミレーナと2人だけでロンドンに行けるんだぞ」。「バカなこと言うな。どこで降ろしたんだ?」。「知らんよ。俺は、忙しいんだ」。「あと2時間しかないんだ。どこでユージェイニオを降ろした?」(1枚目の写真)。「どこか道路脇だ。なあ、俺は今大変なんだ」。父は、怒り心頭で、バッフォを無理やり引きずり出して、自分の車に乗せて息子を捜しに出かける。「どこで降ろしたか、覚えてないのか?」。「ぜんぜん。どこも似てるしな」。「ローマに近いか? 祖父母の家に近いか?」。「ローマに近い」。「じゃあ、戻らないと」。途中のガソリンスタンドで、バッフォは「あの子、頭が良さそうに見えたぞ」と言い、「こんな所で捜してなくても、ヒッチハイクでもして家に帰ってるさ。電話しろよ」と勧める。電話をすると、愛人のミレーナが出たが、返事は、「いいえ。でも、バッフォが連れて来るんでしょ?」。「ああ。だが、道路で置き去りにしたんだ」「そうだ、何もしていない。勝手にやったんだ」「そこにいてくれ。半時間ごとに電話する」。そう言い残すと、バッフォに「着いてないぞ」と冷たく言い、心配でどうしようかと迷う。そんな時に、バッフォは、「あの子をイギリスに連れて行く必要があるのか?」と不適切な発言。父は、それを無視し、「まず最初に、あの子を降ろした場所を見つけるんだ。行くぞ」と捜索を再開する。車を走らせていると、遂に、バッフォがユージェイニオを降ろした場所に来る。バッフォも思い出して、「止めろ!」と叫ぶ。「ほんとにここなのか?」。「確かだ。あの標識に見覚えがある。『9キロ』。ここだ」(2枚目の写真、矢印は標識)。父は、何度も、「ユージェイニオ!」と叫ぶ。バッフォは、最後に、「もう叫ぶな。こんな雨の中で いると思うか?」と止める。「だけど、ここで降ろしたんじゃないか」。「降ろした時は、降ってなかった」。絶望して標識の横に座り込む父。「何が起きたんだろう?」。そして、「無力感と絶望で胸が痛むんだ」と頭を抱える。そんな父に、バッフォは最大の失言。「どうして? 幸福なハズだろ? お前さんの意識下の願望を汲み取って、あの子を追い払ってやったじゃないか」。父は、バッフォにつかみかかる(3枚目の写真)。バッフォは、手を振りほどくと、「家に電話して確かめよう」と車に向かう。「あの子は、どうしてるんだろう?」。「俺は、自然淘汰の支持者だ」〔3つ目の失言〕。「何だと?」。ここまでのところ、バッフォは最低のクズのように見える。雨はどんどんひどくなり、父は電話のある店に入る。バッフォ:「フェルナンダに電話したら? 母親のところに行ってるかも」。「フェルナンダなんかに電話するもんか」。しかし、父は、ミレーナに電話してまだ着いていないことを確かめると、妻のフェルナンダに電話する。誰も出ない。憎い妻のことを考えるうちに、場面は過去へと戻っていく。
  
  
  

過去のシーンの最初は、父ジャンカルロと母フェルナンダが仲良く過す学生時代から。2人は、他の「過激」な学生たちと一緒に、学生運動を撮影した16ミリフィルムを観ている。その時、フェルナンダが、「妊娠しちゃった」と打ち明ける。「本当か?」。「検査したの。私たちどうする? 産むべき?」。「ああ、だけど革命の子になっちまうな」(1枚目の写真)。次は、結婚式。そこでは、これから登場する関係者のほとんどが登場する。ジャンカルロの父〔のち、痴呆症(?)で死亡〕、母エドヴィジェと、将来母と結婚(?)する元提督トリスターノ、フェルナンダの父ユージェイニオ〔同名〕と母アンナ(2枚目の写真。新郎新婦の左が、将来ユージェイニオが最も頼る祖父、右の矢印はバッフォ)。最初の回想シーンは非常に短い。因みに、DVDのイタリア語字幕ではトリスターノのことをメイドが「signor Tristano」と呼んでいるが、流布している英語字幕では「uncle Tristano」となっていて、大きな誤解を生む。映画の後半ではエドヴィジェとトリスターノはいつも一緒にいるが、兄妹としてなのか、再婚した夫婦としてなのかでは意味が全然違う。
  
  

再び、「現在」へ。父は、ひょっとしたらと思い、自分の母に電話する。母は、元提督のトリスターノ〔全く説明されていないが、恐らく再婚していると推定される〕や、他の元提督たちと5人でトランプに夢中。電話がかかってくると、「トリスターノ、電話に出てもらえる?」と気軽に頼む。電話に出たトリスターノは、「もちろん、いるよ。今、ゲーム中だ。伝えようか?」。母はゲームに夢中でなかなか電話に出たがらないが、「緊急だと言ってる」の言葉でようやく席を立つ。映画では、ユージェイニオの過去のシーンで、父方の祖父母とは疎遠であることが描かるが、この祖母が登場するこのシーンで、実の息子とも疎遠であることが分かる。息子から、ユージェイニオのことを訊かれた母は、「いいえ、どうしてここに来るの?」「私と一緒に暮らす? 不可能よ。他の方法を考えたら」〔しばらく引き取ってくれるよう、打診したのか?〕(1枚目の写真)「家には誰もいないの? ああ、ミレーナがいたわね」「いいえ、別に反感は持ってないけど、信用してないだけ」〔ここで、初めて、息子が行方不明と伝えたのか?〕「でも、どうしてトリスターノに会わないの。相談くらいできるでしょ?」「好きになさい。警察に届けたの?」。最後は、「大げさなこと言わないで!」でガチャンと切る。冷たい祖母だ。父は、次に母方の祖父母に電話をかける。こちらの両親は、かなり質素な暮らしをしている。先ほどまで預かっていたユージェイニオが「消えた」と聞き(2枚目の写真)、こちらは真剣に心配する。そして、祖父は、「ユージェイニオの失踪」で、過去に起きたある事件のことを思い出す。
  
  

それは、まだユージェイニオが産まれてすぐの頃のことだった。夫婦はユージェイニオをベビーバスケットに入れ、電車に乗っている。向かい側の座席にバスケットを置き、妻は本を読み、夫は妻にもたれて寝ている。その時、赤ん坊が泣き出し、妻は「どうしたの?」とバスケットを覗き、妻が急に動いたせいで、夫が座席に転がる。「もうちょっと優しく動いたらどうだ」。「泣いたのよ」。赤ん坊を見ながら、夫は「君の両親にしばらく預かってもらえて助かったよ」と話す。こんな小さな頃からユージェイニオは母方の祖父母に預けられるのだ。そして、夫婦の仲も、こんなに早くから最悪。夫が、「この子が生まれてから、僕は試験も受けられなくなった。バカになったみたいだ」と言えば、「そうね、資格を取るのに2年もかかったんだもの」。「誰も完璧じゃない」と言えば、「あんたに完璧なところなんてあった?」。「ベッドの中」と得意げに囁くと、嫌な顔をして通路を挟んだ隣の席に移り、「そっちの方も、ぜんぜんダメね。知ってた? あんたって役立たずなの。私は性的に健康だから、好きな時に誰とでも寝れるのよ」と言ってのける。これを聞いた夫は、思わず妻を引っぱたき、激怒した妻は「豚野郎!」と叫び、ちょうど電車が駅に停まったので降りてしまう。赤ん坊のことなど念頭にない夫は、妻を追って電車を降り、詫びようと後を追う。2人が気付い時には、赤ん坊を乗せた電車はもう動き出していた(1枚目の写真)。その前でも、また責任のなすり合いの喧嘩。夫が、妻の祖父に電話をかけ、祖父は駅まで赤ん坊を引き取りに出向く(2枚目の写真)。この夫婦喧嘩、原因を作ったのは、妻の不機嫌と、浮気を示唆する言葉。この独りよがりで自分勝手な性向は、年とともに増長していく。
  
  

そして、「現在」。この出来事を思い出しつつ、祖父は、「君は、なんて奴に息子を任せたんだ。2人とも監獄に送ってやる。妻には連絡ぐらいしたのか?」「分かった、娘には電話しておく。警察は君がやれ! 至急だぞ!」。そして、祖父は娘に電話をかける。フェルナンダは、夫が相続した立派な家を占領し〔クリスマスに大喧嘩し、夫が出て行った〕、そこに不満の塊のような女友達4人を呼んで暮らしている。フェルナンダは、自分の父から電話がかかってきても、「体調が悪いからって言っておいて」と出ない。電話に出た友達が、「中絶したって、言った方が良くない?」と訊くが、必要ないと言う。ここで急に「中絶」という言葉が出て驚かされるが、映画の最後の方になって、フェルナンダが妊娠し、中絶とする主張して夫と大喧嘩するシーンがある。父は、改めて息子のことで緊急事態と言い、ようやくフェルナンダが電話に出る。「え? バッフォを信用したの?」「どのくらい経った?」「いいえ、ここには来てないし、電話もない」「あの子の父親は何してるの?」「いいえ、知らない。分かった、注意してる」(写真)と話す〔祖父が何を言ったかは不明。この映画では、電話は常に一方通行。相手の声は聞こえない〕。電話を終えると、フェルナンダは他の4人に、「ユージェイニオが消えた」と打ち明ける。そこから、ユージェイニオに対する思い出が始まる。
  

この「過去」のシーンから、10歳のユージェイニオが登場する。場所は、母方の祖父母の家。農家なので、裏庭で色々な家畜が飼われている。ユージェイニオは、動物の柵の前で、父に、家ウサギ、野ウサギ、七面鳥について得意げに説明している。その時、母が赤い車でやって来る。ユージェイニオは走って迎えに行く(1枚目の写真)。母はユージェイニオに、「少し大きくなったんじゃない?」と話しかける。その後、夫にも、「大きくなったわね」と話すので、かなり長い間預けていたことが分かる。父も、「僕も、さっきそう言ったんだ」と答えるので、父も久し振りに会ったことが分かる。それを聞いたユージェイニオの顔が何とも微妙だ(2枚目の写真)。多分、いつも放っておかれることに、寂しさを覚えたのだろう。
  
  

祖父母は、急に2+1人が2+3人に増えたことから、誰をどこに寝かせるかを話し合う。しかし、仲の良くない夫婦を一緒の部屋に入れるベきかどうか決めかね、当人に相談することに。祖父がジャンカルロに、ユージェイニオの部屋にはベッドが2つあるから、そっちに夫婦で寝て、ユージェイニオは自分達の部屋で寝させたら、と提案する〔それなら、仲の悪い2人がバラバラに寝られる〕。しかし、祖父の鼾がひどく、ユージェイニオは眠れない。そこで、自分の部屋に上がっていって覗いてみると、2人が1つのベッドで話し合っている。ユージェイニオに気付いた父が、「なぜ、ここにいる?」と訊き、母が「なぜ、寝てないの?」と訊くので、「おじいちゃんのいびきで眠れない」と言い(1枚目の写真)、「2人で一緒にそこに寝れば、僕はあっちで寝るよ」と言って、部屋にあるもう1つのベッドに飛び込んで「お休みなさい」と毛布をかぶってしまう。早い者勝ちだ。父母はどちらがベッドを使うかで争い、母が父をベッドから振り落として占拠する。朝になり、祖母がミシンを動かしていると、フェルナンダが早々と、「さよなら、ママ」と言って出て行く。祖母:「ユージェイニオに、さよならは言ったの」。「ううん、まだ寝てたから。代わりに言っといて」。祖父が、「もう行くのか? いつ戻るんだ?」と訊いても、「さあ(Non Io so)」と気のない返事。その直後、今度はジャンカルロが「さよなら」と現れる。祖母:「ユージェイニオに、さよならは言ったの」。「まだ寝てる」。「いなくなったと知ったら、悲しむわよ」。祖父:「行くのか?」。「ローマで急用ができたので」。そして、いつ来るとは言わずに去って行く。ベッドで1人寝ているユージェイニオ(3枚目の写真)。ここで、1回目の「僕はここにいる」の歌が流れる。「♪どうしてこうなったんだろう。でも、僕はここにいる。あっち行ったり、こっちに行ったり」。2台の車が並んで家を出て行く。赤が母の車。白が父の車。同時に別々の車で発つところに、夫婦間の深い溝が象徴的に現れている。そして、2人とも、1晩だけ泊まって、ユージェイニオを放り出していくところに、息子に対する親としての自覚の完全な欠如もよく表している。かくして、歌は続く。「…だけど なぜなんだろう。僕は去って行くしかない。誰も面倒を見てくれないから」。
  
  
  

ジャンカルロの母ドヴィジェと、夫(?)のトリスターノが、一体どうなっているかと息子に明け渡した家を訪れ、そこにいたフェルナンダに、「見つかったの?」と訊く(1枚目の写真)。「この件に付いては、何も知りません」(2枚目の写真)。ドヴィジェは、フェルナンダ以外に4人も見知らぬ女性がいるのに驚き、「ジャンカルロはどこなの?」と尋ねる。「彼は、もうここにはいません」。「もう、住んでないの?」。「別居しました。彼からは何も?」。「若い人たちには驚かされるわね。私の家で何してるの?」。「彼が売りました。半年の猶予付きで。その間、私が住んでます」。常識人のトリスターノは、ドヴィジェに孫のことで来たのだと注意するが、孫より自分の家の方が大事なドヴィジェは、「だけど、この家、売っちゃったのよ」と執着する。トリスターノがフェルナンダに、「何が起きたんだね? 誘拐されたのか?」と訊くと、彼女は、それには答えず、「私、疲れちゃった。もうこんなのイヤ。ジャンカルロに会いたい」と言い出す。実に気まぐれな女性だ。他の4人も「一緒に行くわ」と言って席を立ったところで、場面は警察署へ。署長が、「あなたの友人が、10歳になる息子さんのユージェイニオを連れ去ったわけですね?」と父に訊いている。「そんなことはしていません。冗談でやっただけです」。「なら、彼は大バカ者ですな」。「なぜです?」。「あなたもどうかしてる。10歳の子供を、雨の中、人里離れた場所で放り出したんですよ。犯罪者かバカ者のどちらかです」。父は、非難するより捜索をと頼むが、署長は育児放棄がある以上、事実の解明が優先されると譲らない。そして、バッフォを告発対象者として、氏名、住所、職業を尋ねる。バッフォが風刺新聞「L'Oca(間抜け)」の編集長と名乗ったことで、バッフォに対する容疑は極度に高まり、手錠をかけられ、独房に連行される(3枚目の写真、矢印は手錠)。署長に、警察犬を使った捜査にはユージェイニオの身に着けていた物が必要と言われ、父は母方の祖父母の家に直行する。しかし、農園には誰もいない〔ユージェイニオのアパートに向かっていた〕。呼び声に、下働きの男が出てきて、家には鍵がかかっていて中には入れないと話す。そして、もっと意外なことも。「ご存知なかったんですか? ご夫婦は、明日、オーストラリアに発たれるんですよ。下の娘さんに赤ちゃんが産まれるとかで」。ジャンカルロは、かつて、祖父母からの頼みで、ユージェイニオを無理に引き取りに来た時のことを思い出す。
  
  
  

祖父母の家。ユージェイニオを迎えに来た父母を交え、5人が朝食のテーブルに着いている。父がユージェイニオに、「もう、ここに置いてもらえないなんて、何をやったんだ?」と訊く。「僕? 何もしてないよ」。そして、「行っていい?」と母に訊き、さっさと食卓を離れる。その後で、祖父は娘と娘婿の2人に、「いいか、お前たちは、よりを戻す努力をすべきなんだ。ユージェイニオには家族が必要だ」と諭すように言う。祖父母がユージェイニオを返すことにしたのは、息子を預けっ放しにする身勝手さに対する怒りよりも、ユージェイニオを心配してのことだ。食後、母は、裏庭で農作業をしているユージェイニオに寄って行くと、「一緒に帰りましょ。嬉しいでしょ?」と話しかける。しかし、返事は、「僕、ここにいる」。その後、父が訊いても、「僕、行かないから」。母に「どうして?」と訊かれ(1枚目の写真)、「イヤだから」。「バカげた気まぐれはやめなさい。おじいちゃんたちは疲れてるの。一緒に来れば、幸せになれるわ」。「行かない」。父は、怒って、「もう充分だ。行くぞ!」と腕を引っ張るが、逆に逃げ出しただけ。祖母が、「あなたは、もう幼児じゃない。だから、自分で決めなさい。このまま、私たちとここに留まるか、ママやパパと街に戻るか」と優しく尋ねるが、ユージェイニオは、「イヤだ!」と怒鳴っただけ。父は、「もう充分だ。車に乗れ!」と言うと、ユージェイニオを後ろから抱きかかえて車に入れようとするが、ユージェイニオは足でドアを蹴って閉める(2枚目の写真)。その後も、車に入れようとする父と争い、逃げ出すが、前節で出て来た下働きの男につかまったところで、父に頬を思い切り叩かれる。祖父に、「また戻ってくればいい」と言われ、祖父からも「荷物を取っていらっしゃい」と言われ、見放されたと思ったユージェイニオは、1人で家に入って行くと、荷物を持って来る代わりに、籠に入れてあった洗濯物を次々とドアから外に放り投げ始めた。今度は母に何度も頬を叩かれる。そして、2階の自分の部屋に逃げ込む。
  
  

何とか、部屋に入れてもらえた父は、「ママとパパは、今までおじいちゃんたちみたいに面倒見てやれなかった。だけど、どうしてそんなに嫌がるんだ?」と尋ねる(1枚目の写真)。「行きたくないから」。「力づくで連れて行けるが、そんなことはしたくない」。「やれば?」。その言葉に、父は、説得を母に交代する。今度は効果があって、ユージェイニオが本音を打ち明ける。「もし、一緒に行ったら、動物たちと会えなくなっちゃう」(2枚目の写真)。「少しなら、一緒に連れて来てもいいわよ」。「アヒル、連れてっていい?」。「いいわよ」。「野ウサギは?」。「それもいいわ」。「家ウサギも お願い」。「家ウサギもいいわ」。これで、この問題は解決。映画では、ここで、「現在」のワン・シーンが挿入される。父が土砂降りの中、ユージェイニオが降ろされた場所にもう一度行き、「ユージェイニオ! 何て不愉快な(brutto)名前だ! 何でこんな名前にしたんだろう! 祖父の名前なんか付けるから、連帯が生まれちまった! もし、ユージェイニオじゃなかったら、こんなことも起きなかったハズだ!」。そして、映画は、先ほどのシーンの続きへと戻っていく。
  
  

両親が、田舎から持ってきた3匹のペットの入った「金網の木箱」をアパートに運び入れている。ユージェイニオは、父の作業場の中に所狭しと置いてあるTVに驚く(1枚目の写真)。ということは、ユージェイニオがこの場所に来たのは初めてということになる。部屋の様子は、引っ越したばかりには見えないので、ユージェイニオは年単位で祖父母の家に預けられていたことになる。しかし、もう1つ訳の分からないことがある。それは、机の上に食べた後の皿が洗いもせずに放置されているのを見て、母が 「何なの、これ!」 と如何にも軽蔑したように言う点。ということは、この部屋を見るのは、ユージェイニオだけでなく、母も初めてということを意味する。次のシーンで、母は、タクシーで自宅に帰ると言い出すが、2人はずっと前から別居状態なのだ。以前、父と母が別々の車で祖父母の家から帰って行ったシーンがあった。2人はあの時から既に別居していたのかもしれない。説明が全くないので、これ以上の推測は困難だ。ユージェイニオは、「動物にやる餌ある?」と訊き、「動物どころか、僕らの食べ物もない」と言われる。その後、すぐ、母から、「海辺で1ヶ月、ママと一緒に過さない?」と声をかけられる。「ママと」、と言っているので、夫は連れて行かないことを意味している〔別居状態だから当然かも〕。ユージェイニオは動物の餌を買いに、八百屋に出かける。そこでアルバイトをしている年下の男の子と会う。男の子は、ユージェイニオが動物用のレタスとふすま(糠の一種)を買いに来たと知ると、裏に連れて行って、ゴミ箱の中から、廃棄処分にした野菜クズを集めて(2枚目の写真)、ユージェイニオにタダで進呈する。ユージェイニオにとっては、映画の中に登場する唯一人の友達の誕生だ。
  
  

夜になって、ユージェイニオは父の作業場の片隅で寝ているが〔自分の部屋も、もらえない〕、隣の部屋から聞こえてくる父母の話し声で眠れない。トイレは、父母の部屋にしかないので、会話を邪魔する目的で、「いい?」と使いに行く。「またか?」。「漏れちゃうから仕方ないだろ。それに、早く寝てよ」。「お前が行ったり来たりするから、眠れないんだ」。「話をやめないから、眠りたくても眠れない」。そう言うと、ユージェイニオは手洗いに行くと、洗面の水を流して小便の音に似せ、用も足さずにトイレの水を流す。トイレに来た目的は、しゃべるのがうるさいと言いに来たため。ユージェイニオが部屋を出て行くと、妻は夫に、「話したくない。寝たいの。分かった? もううんざり。タクシーを呼んで家に帰るわ」。母がベッドから出て、着替え始めると、またドアが開いてユージェイニオが顔を出す。「そこで、何してるの?」。「暑いよ。ママみたいに、パジャマ脱いでいい?」。「さっさと脱いで寝なさい」。「そっちも早く寝てよ」。お陰で、母はタクシーを呼べなくなった〔ユージェイニオのパジャマ作戦だったのかも〕。嫌々ベッドに戻った妻に、夫は「これで帰れなくなったな。君も、自分の息子の正当な期待を裏切りたくないだろ」と言う。仕方なく、そのまま我慢することにした母だったが、ジャンカルロが頬にキスして(1枚目の写真)、「他のことでもしようか」と暗にセックスを促すと、「イヤよ!」と拒絶する。かなり前の「現在」で、フェルナンダが中絶したという話が出ていたが、このような状況では2人の間に子供ができるとは信じ難い。フェルナンダの妊娠は、他の男性によるものなのか? その時、またドアが開いて、ユージェイニオが「おしっこ」と言う。「大抵にしろ!」。「だけど、話をやめないと眠れないよ」(2枚目の写真)。
  
  

フェルナンダは、結局、真夜中か早朝にそっと抜け出したらしく、朝になってみるとベッドはもぬけの殻。父は、ユージェイニオが、自分のズボンを探っているのを見て、「何してる?」と訊く。「乾燥パンに2000リラ〔現在価値約700円~結構高い〕。「乾燥パン?」。「僕の動物用」。「ママに頼めないのか?」。「いないじゃない」。「どこに行ったんだ?」。「知るハズないだろ」。そこに、昨日の約束通り、八百屋の手伝いの子が乾燥パンを持ってやってくる。「友達のゲリーノだよ」。ゲリーノはたくさんのTVを見て、「すごいTVだね。これみんな君んちの?」。「ううん、父さんが修理してる。電気技師なんだ」。「どこに置けばいい?」。「来いよ、動物、見せてやる」。そこに、着替えた母が戻ってくる。「これ何なの?」。「動物用のパンだよ。持って来てくれたんだ」。「で、その子は?」。「友達のゲリーノ」(1枚目の写真)。「これ、朝食。食べたら服を着て。そしたら、海で買えばいい」。「あれ、本気なの?」。「もちろんでしょ」。そこに、電話がかかってくる。それは、スペインでの仕事の話だった。母は、ユージェイニオをベッドに呼ぶ。その前に、父が、意地悪く、「海は忘れろ。行けないぞ」とバラしてしまう。母は、「仕事ができたの」(2枚目の写真)「2ヶ月弱で300万〔約100万円〕よ。断れないわ。もう大きいから、分かってくれるでしょ。終わったら、一緒に海に行きましょ」。「おじいちゃんのトコに戻るの?」。「いいえ、ここでパパと一緒に住むの」。次のシーンは、ローマのフィウミチーノ空港。父と2人で、母を見送りに来たのだ。「さよなら、ユージェイニオ。できたら、すぐに呼んであげるから。ダメでも、帰ったら一緒に海よ」(3枚目の写真)。「ママがいなくなって寂しい?」。「ううん」。「じゃあ、ママのことなど、どうでもいいのね?」。「心配だよ。悲しませないように、言っただけ」。「じゃあ、悲しいのね?」。「悲しいよ。ママは?」。「そうよ、でもそうは言っていられない。仕事に追われるでしょうから」。
  
  
  

ユージェイニオは、父のそばでヘッドホンをつけてTVを見ている(1枚目の写真)。最初に来たのは、感じの悪い客。TVの修理がちっとも終わらないのでイライラしている。父:「明日来てくれ」。客:「いい加減にしろ。これで3度目だぞ! TVを渡さんと帰らんからな」。客は、修理の終わったTVの意味で言ったのだが、父は未修理のTVをドアの外まで持って行き、「返したぞ」。「動くのか?」。「ノー!」。客はカンカンだ。「何だ、その自分勝手な態度(menefreghismo)は!」。これには、ユージェイニオも大笑い。父:「このことから、どんなことが学べる? 『不愉快な客の仕事は請けるな』 だ」。次にドアをノックしたのは若い女性。部屋へ入って来るなり、ユージェイニオの目の前でキス(2枚目の写真)。父は、母と別居して、こうして浮気していたのだ。ユージェイニオのショックは大きい。女性は、ユージェイニオを顎をつかみ、頭をポンと叩いて、「あんた誰、助手?」と訊く。父:「違う、息子だよ」。驚いたのは女性も同じ。「どうして、あなたの子が、ここにいるのよ?」と訊く。「いちゃ悪いか?」。それにしても、この男、完全な父親失格だ。母親と別れたばかりの息子の前で、愛人と平然とキスして、悪びれる様子は一切ない。それどころか、女性がシャワーを浴びている間に、ユージェイニオを呼び(3枚目の写真)、「映画でも観に行ったらどうだ?」と、追い出そうとする。ユージェイニオの顔には、不信感が現れている。「ゲリーノも連れてっていい?」。「いいとも」。
  
  
  

ゲリーノは、八百屋の商品をくすねたため、クビになっていた。代わりに、交差点で信号待ちしている車に、ティッシュペーパー(ソフトパック10個入り)を売っている。中南米でよく見る光景だ。それにしても、1カートン1000リラ〔350円〕とは、随分高い。そのためか全然売れない。ユージェイニオは、映画には行かず、ゲリーノを手伝ってやる(1枚目の写真)。父に失望したユージェイニオにとって、ゲリーノだけが気の許せる相手だからだ。しかし、ユージェイニオが、たまたま売りに行った車には、祖父母が乗っていた。「こんなとこで、何してるの?」と言われ、気まずい顔になるユージェイニオ(2枚目の写真)。「友だちを助けてる。お金を稼ぐんだ。パパもOKした」。祖母:「乗りなさい、送るわ」。「家はダメ」。「どうして?」。「誰もいないから」。ユージェイニオは、父の浮気に失望していたが、浮気の最中に祖父母を鉢合わせたくはなかった。一種の「武士の情け」のような感覚であろう。しかし、祖父は怒り出す。「家から閉め出して、お前にこんなことをさせてるのか?」。「ううん、鍵は持ってる」。「じゃあ、乗りなさい」。「今はダメ」。「なぜだ? パパは本当に家にいないのか?」。「いないよ。仕事で出掛けてる」(3枚目の写真)。「鍵を寄こすんだ」。「鍵って?」。「アパートの鍵だ」。ポケットを捜すが、どこにもない。「なくしちゃった」。信号が変わったので、祖父母は渋々車を出す。ユージェイニオは、念のため、電話で父に知らせることにしたが、公衆電話は遠かった。その間に、怪しいと睨んだ祖父母はアパートに直行する。父が全裸で、腰にタオルを巻いた姿でドアを開けると、そこには祖父母が。「来られると分かってたら…」。「何をしてたの?」。その時、電話が鳴る。それはユージェイニオからの緊急電話だった。しかし、祖父母は勝手に部屋に入り込み、ベッドに寝ている見知らぬ女性を見てしまう。女性はニコッと笑ってみせるが、相手が浮気相手の妻の両親だと知っていたら、笑顔はできなかったろう。祖父母は怒り心頭だったに違いないが、その部分の映像はない。
  
  
  

父とユージェイニオが、ピザ屋で話し合っている。しゃべるのは父、食べるのはユージェイニオだ。「ミレーナがまた来たら、邪魔かな?」。「ううん、ゲリーノのとこに行く」。「泊まっていく場合は?」。「寝てる。だけど、おしっこには行くよ」。「ほら、お食べ」。ユージェイニオは疑問をぶつける。「ママのこと、もう好きじゃないの?」。「好きだよ。もっと食べて」。「じゃあ、ママの方が、愛してないんだ」(1枚目の写真)。「もういいから、食べなさい」。「だけど、ママと一緒にベッドにいて、何してるの?」。「お前と関係ないだろ。さあ、食べて」。「もちろん関係あるさ。もし、セックスしてなかったら、僕は存在しなかった」。「いいから、食べて」。「おじいちゃんの家にはもう連れてかないって約束してよ」。「約束する。だけど、パパのエドヴィジェおばあちゃんの家は、行ってもいいだろ? 彼女だっておばあちゃんだ。会う権利はある」。ピザ屋を出ると、父はユージェイニオを自分の祖父母の家に連れて行く。「母はいるかな?」。「はい、おられます。トランプの最中です。トリスターノさんも ご一緒です。お知らせしてきます」〔先に指摘した字幕の箇所〕。「父の具合は?」。「苦しまれています。いつものように」。祖父は重度の認知症のようで、ジャンカルロですら認識できない。ユージェイニオにとっては、辛いだけの体験だった。そこにゲームを抜けて祖母が会いに来る。大粒のピンクパールのネックレスから、非常に裕福だと分かる。父:「悪くなってるね」。祖母:「最高の医者に診てもらってるわ。麻痺が進行してる。最悪の事態も考えないと」(2枚目の写真)。祖母は、ユージェイニオに、「もし、お父さんと一緒に来なかったら、誰か分からなかったわ。随分、大きくなったわね」。この言葉から、如何に疎遠かが分かる。恐らく、赤ん坊の時以来初めての訪問なのだろう。祖母は、ユージェイニオを連れて、ポーカー室に入って行く。ユージェイニオは、気が乗らないので、入口にいる父の方を振り返って見ている。祖母はトリスターノに「この子がユージェイニオよ」と言い、ユージェイニオには「トリスターノさんに挨拶なさい。あなたのことがとっても好きなのよ」と話す。それでも父の方を見ているので、「振り向きなさい、ユージェイニオ(Voltati, Eugenio)」と命じる。奇しくも、映画の原題と同じ言葉だ。トリスターノは、「大きくなったな! 昔、腕に抱いたんだよ」と声をかける。しかし、次の言葉は、祖母に向けたポーカーの話。ユージェイニオは、自分が歓迎されていないことを感じ取り、父と一緒に早々に引き揚げる。それにしても、冷たい祖母だ。一年中ポーカーばかりしているのだから、孫が、10年ぶりに来てくれたのなら、ポーカーなどやめて大歓迎してもいいだろうに。この映画には、不愉快な人物が多数登場するが、No.1がこの祖母だ。
  
  

2日後の夜、フェルナンダから電話が入る。「父から電話があったわ。何してたの?」。「ここに立ち寄られた時、ちょっと騒ぎが起きてね」〔これで、誤魔化したつもり〕。フェルナンダは、息子をこっちへ来させるよう頼む。しかし、ジャンカルロは、「ここで仲良くやってるから」と断る。「私だって、長いこと会ってないから寂しいのよ」。「会ってないから寂しい? 渡してやるもんか」。ここで、フェルナンダは作戦を変更し、2日前の騒動を取り上げる。「彼女、ローマにいるの? あの子を寄こしなさいよ。自由になれるでしょ」〔フェルナンダは、浮気のこともお見通し。その上で、こう言えるのは、愛のかけらも残っていないからだろう〕。痛いところを突かれたジャンカルロは、ユージェイニオに電話を渡すことに合意する。「ママが話したいそうだ」。しかし、もう眠っていたユージェイニオは、眠くて仕方がない。「ここにジャンカルロといるよ」と返事をしてしまう(1枚目の写真)〔ユージェイニオは、母フェルナンダは「ママ」と言うが、父ジャンカルロは、本人の希望で「パパ」とは呼ばない〕。電話をもう一度替わった後、フェルナンダから何か言われたらしく、電話が終わった後、父は、「こんな機会を逃すべきじゃなかったな」と勝手なことを言う〔実に いい加減で、自分勝手だ〕。「別の時に行くよ」(2枚目の写真)。「別の時なんてないぞ。スペインは面白いぞ」。「行ったことあるの?」。「ああ。行ってなきゃ、こんなことは言わない。闘牛だってある」。「牛を殺すんだよね?」。「言われてるほど残酷なものじゃない。面白いぞ。牛と闘牛士との戦いなんだ」。「見たことあるの?」。「もちろん。じゃなかったら、言えないだろ」〔すべて嘘。彼はスペインに行ったことも、闘牛を見たこともない〕。「早い話、僕をスペインに追い払いたいんだ」。「まさか。何を言い出す。ただ、せっかくの機会なんだ。それにママも寂しがってるしな」。「じゃあ、ママにそう言ってよ」。翌日、ユージェイニオは空港からスペインへ旅立つ。10歳の子供1人での搭乗なので、係員が付き添っている。
  
  

映画は、久し振りに「現在」に戻る。父は、ひょっとしたらと思い、ゲリーノの家を訪れる。そこは、狭いアパートに子供がひしめき合う場所だった。父親が、「ゲリーノは15000稼ぐまで 帰ってきやしません。さもないと、俺がすごいふくれっ面になると知ってるんで」と平気で話すような男。その時、疲れた奥さんがコーヒーを持って来る。それを見て、子供たちが4人も寄ってくる。ジャンカルロが飲み終えた後のカップを指で舐める子供たちが凄まじい(1枚目の写真)。ジャンカルロは、そこで、ユージェイニオが獣医になりたいと言っていた、と初めて聞かされる。この貧しい父親の方が、ジャンカルロより余程まともだ。そこに、16000稼いだゲリーノが帰ってくる。彼はユージェイニオの行方は全く知らなかった。次のシーンは、ジャンカルロのアパートに行ったフェルナンダと4人の女性。そこには、フェルナンダの父母と、ジャンカルロの母とトリスターノもいる。フェルナンダの父は、自分の娘たちの行動を見ながら、「若い者には義務感が欠けておる」と妻に不満を漏らす。「あの2人(自分の娘と、そこにいないジャンカルロのこと)は、結婚前から別れることを考えとったに違いない」とも。そこにジャンカルロが帰ってくる。最初に口を開いたのは、フェルナンダの父。「何て 思慮がないんだ。バッフォのようなロクデナシに 子供を預けるなんて」(2枚目の写真)。フェルナンダの母は、「何か分かった?」と訊く。「何も」。今度は、ジャンカルロの母が「どうして家を放り出したのか、説明なさい」と強い調子で訊く。この女には、ユージェイニオのことなど念頭になく、自分の家のことだけが心配なのだ。「本当に売ったの?」。トリスターノが「警視に電話しようか? 私の友達だ」と話題を元に戻す。その時、ジャンカルロは妻と目が合う(3枚目の写真)。怖い顔をしてジャンカルロに近寄っていった妻は、抱き付いて泣き出す。「全部、私たちのせい。何かあったらどうしょう」。夫は、警察犬のための所持品を取りに来たと話し、ユージェイニオの運動靴を持つと、「何か分かったら、すぐに連絡する」と言って出て行った。その後、フェルナンダの具合が悪いことから、彼女が中絶をしたことが全員に知れる。唯一人知っていたフェルナンダの母は、全員を部屋から追い出し、娘と2人きりになると、「思ってることを、全部言いなさい。罪の意識を持っちゃダメよ」と慰める。それに対し、娘は「罪の意識なんかないわ」と激しく反発する。そして、映画は最後の「過去」のシーンへと移行する。
  
  
  

スペインに着いたユージェイニオ。どこの空港かは分からない〔ホテルは海の前にあるので、マドリードではない。多分、マラガだろう〕。到着ロビーの前で待っている人の中に母の姿はない。しかし、「EUGENIO」と書いた名札を持っている男性がいる。空港職員は、その男のIDを控えるとユージェイニオを引き渡す。ユージェイニオは、自分の名札を頭の後ろに掲げると(1枚目の写真)、空港を後にした。その姿には、母が来てくれなかったことへの一抹の寂しさが漂う。ユージェイニオは案内されたホテルの部屋で1人ポツンと待っている。長いこと待たされたので、名札を胸に置いたまま眠ってしまった。そこに、母が、1人の男性と一緒にやってきて、ベッドサイドのテーブルから本を取り、「ほらこれ」と言って男に渡す。物音で目が覚めたユージェイニオは、そのすべてを見ている(2枚目の写真)。母だけになると、今度は寝ている振り。母がキスして起こす。「仕事中だから、迎えに行けなかったの。悲しかった?」。「少し。あんまりかな… ホントはすご~く。だけど、もういいんだ」。「会えて嬉しいかと思ったのに、なぜ泣いてるの?」〔母も浮気していると思って 悲しかった〕。「泣いてないよ」。「涙がついてる」(3枚目の写真)。「うん、お腹空いたから」。「じゃあ、ラフな服に着替えて、ホテルのテラスで何か食べましょ」。ユージェイニオは、男性の本がテーブルにあったことから、2つあるベッドのうちの1つを指して、「ここには誰が寝るの?」と訊く。「今夜、あなたが寝るのよ」。質問が空振りに終わったので、今度は、「ママがいない間に、闘牛 見に行っていい?」と訊く。「ダメ。気分が悪くなるだけ。一度行ったけど、最悪だったわ」。
  
  
  

翌朝、ユージェイニオが朝食をとりに降りて行くと、もう母が食べ終わっている。母は、「メモを読んでおくのよ」と言って、ナフキンで口を拭うと(1枚目の写真)、「じゃあね」とキスして出て行った。寂しそうに見送るユージェイニオ。メモを読んでみる。「午前10時。テニス。コートは予約済み。支払い済み」。「冗談かよ」。「テニスが終わったらプールで水泳。海はダメ。危険だから」。「サヨナラ」。「午後1時、テラスで昼食」。「これならできる」。テラスに行ったユージェイニオ。メニューがスペイン語で、ボーイはイタリア語が話せない(2枚目の写真)。隣で食べている男性が、昨日、母と一緒に部屋に入って来た男だと気付いたユージェイニオは、「あなた、イタリア人?」と訊いてみる。「スペイン語話せます?」「メニュー、読めないので、代わりに注文してもらえます?」。「何が食べたいんだね、肉か魚か?」。「スープ」。スープを飲みながら、ユージェイニオは、「僕のお母さんとは、昔からの知り合いですか?」と尋ねる。「それには答えられないな。君のお母さんて 誰なんだね?」。「母は、こっちに仕事で来ています。僕は会い来たんです。背が高くて金髪で美人の女性。昨日、部屋で本を受け取ってたでしょ」。「それなら、友だちだよ」。「一緒に寝るつもりですか?」(3枚目の写真)。普通の子供なら、こんな質問は絶対にしない。父の浮気を目の前で見てきたから、言えるのだろうが…。男は、「変な詮索はするな」とピシャリ。「ごめんなさい」。
  
  
  

それでも、ユージェイニオは諦めない。夜、母の隣のベッドに入ってから、「今日、ママのお友だちに会ったよ」。「どこで会ったの?」。「レストランで」。「2人は、仲がいいの?」。「ええ、でも 何が言いたいの?」。「パパより、いい?」。「パパと私は、いいお友だちよ。もう寝なさい」。ユージェイニオは次の作戦に出る。「パパに叩かれたことは?」(1枚目の写真)。「バカなこと言わないで。誰も叩かないわ」。「じゃあ、僕が叩いてやる」と言って、母のベッドに行って叩き始める。「やめなさい!」。「じゃあ、闘牛に連れてって」。母は渋ったが、遂に根負けしてOKを出す。スペイン本土では、今でもカタルーニャ州以外では闘牛が行われているが、千年の歴史のある行事も、残酷な牛殺しであることに変わりはない。背中に何本も槍を刺され、血まみれになり、鼻から血を噴き出す牛の首にエスパーダ(とどめの短剣)が刺さる(2枚目の写真、矢印)。あまりのひどさに、母は自ら目をつむりながら、ユージェイニオの目を手でふさぐ(3枚目の写真、左にいるのは、お友だちの男性)。因みに、私はスペインの北から南、東から西へとくまなく行っているが、闘牛のような非道なものは絶対に見ない。
  
  
  

闘牛場には次の牛が入ってくる。「何してるの? 別の牛が入って来たよ」。「もう限界、行きましょ」。しかし、ユージェイニオは「ここにいる」と頑張る。「だけど、真っ青じゃない」。「強情はらないの」。「だけど、パパは闘牛が好きなんだ」。「あなたのパパは、スペインに来たことないのよ」。「そんなの信じない」。「本当よ。一度もないの」。戸惑って泣くユージェイニオ(1枚目の写真、かすかに涙が見える)。「嫌いなものを見て苦しむなんて無意味じゃない。さあ、行くわよ」。夜、ジャンカルロが寝ているとフェルナンダから電話がかかってくる。ユージェイニオに嘘を付いたことを責めるものだ(2枚目の写真、後ろには愛人)。「闘牛のことを話したのは、スペインに行く気にさせるためだ」〔この男、言い訳だけは巧い〕。その後、話はユージェイニオが持ってきた日記のことになり、そこに書いてあったことから、ジャンカルロの父が死んだことを聞かされる。「いつ? なぜ、すぐ話してくれなかったの?」。
  
  

それから何日経ったか分からないが、ユージェイニオが部屋にかかってきた電話を取ると、それは父だった。「パパ、ジャンカルロ… 聞いて、話すことが一杯あるんだ。まず、おじいちゃんは可哀想だったね」「そうだね、もう苦しまなくていい」「だけど、どうして闘牛が好きだなんて言ったの?」「あんまり長く話せない。電話代高いから」「タダって、どういうこと?」「ホテルって?」「この下?」(1枚目の写真)。父がホテルにいる! ユージェイニオは、大急ぎで走っていった。両手を拡げて待ち構える父の前まで来て、自分の服装に気が付く(2枚目の写真)。ユージェイニオは慌てて部屋に引き返す。父も後を追って部屋へ。「どうしたんだ? 姿を見るなり逃げ出して?」。「だって、ズボンはいてなかったもん」(3枚目の写真)。そして、「どうやってここまで来たの?」。「車で」。映画の1980年当時は、ローマからフランス国境までの約650キロは高速道路ができていたが、フランス~スペイン国境までの約570キロの大半は一般道、スペイン国内の約1080キロはすべて一般道だったので、35時間程度はかかるはず。ホテル代節約のため、父はテント持参で来ていた。それを聞いたユージェイニオは、「テント? 一緒に寝ていい?」と訊く。「もちろん」。海岸沿いの岩場に2人でテントを張る。「ママはどうするの?」。「ママは女性だから、ホテルで寝るさ」。「そうだね」。少し暗くなり、2人で缶詰の夕食を食べていると、母がやってくる。「あの男は誰だ?」。「ママの友だち。知らないの?」。「どこで会った?」。「闘牛に連れてってくれた」。母は、テントまで降りて来ると、「一緒に寝ていい?」と尋ねる。ユージェイニオは大歓迎。父が、「寝袋は2つしかない」と言うが、「ママと一緒に入るからいい」と答え、1つのテント、2つの寝袋に、3人で仲良く眠る(4枚目の写真)。
  
  
  
  

翌日、2人は母の仕事現場を見に行く。よくは分からないが、production designerのような仕事だ。2人は足場を登って一番上の窓から下を覗く。真っ白な壁だけでできた直方体のような空間だ。「気付かれないといいね。でないとママに叱られちゃう」。しかし、上を見た母は、2人に気付き、手を振ってくれる。ユージェイニオも手を振る(1枚目の写真、矢印)。そこに、完成度を調べに雇用主と監督が入ってくる。監督は狭すぎると指摘。雇用主が歩測すると7歩で約7メートル。母が、雇用主に、「あなたの指示に従っただけだわ」と抗弁しても、「この女はクビだ。多額の損失をさせおって! イタリアに帰れ!」と問答無用。その時、駆け下りてきたジャンカルロが、雇用主の顔にパンチ(2枚目の写真)。母は、「何するのよ、キチガイ。自分で解決できたのに!」と怒る。腕を取って引っ張って行かれるので、「放してよ!」と叫ぶが、ジャンカルロに強引に車に乗せられる。車の中では、母は怒って口もきかない(3枚目の写真)。世間知らずの自分勝手な男によって、300万リラの仕事がふいになったからだ。そなことにお構いなく、ジャンカルロは「夢が叶った」と話し出す。「パパが家を残してくれた。ママは、トリスターノと暮らすだろうから、引越しできるぞ」。ユージェイニオが「全部、僕たちのもの?」と父に訊き、「ママは幸せ?」と母に訊く。返事があったかどうかは分からない。
  
  
  

さっきは夏だったのが、次のシーンはクリスマス・イヴ。最初に来たのがフェルナンダの祖父母。祖父が大きなプレゼントを抱えている。「これ何?」。「後のお楽しみ」。祖母:「ママはどこ?」。「キッチンで大忙し」。祖父:「サンタさんには何を期待してる?」。「犬だよ」。祖父:「都会じゃ可哀想だ」。祖母:「犬が欲しいのなら、一緒に田舎に来ないと」。すぐに呼び鈴が鳴り、ジャンカルロの母ドヴィジェとトリスターノが入ってくる。トリスターノ:「サンタさんには何を期待してる?」。「犬だよ」(1枚目の写真)。ドヴィジェ:「さあ、どうかしら、まだ開けてないでしょ」。「犬なんか入らないよ」。祖父がまた「都会じゃ可哀想だ」とくり返し、トリスターノも「年をとって病気になったら看病しないといかんぞ」と追加する。かくしてクリスマスのディナーが始まる。母が、つっつけどんな口調で「食卓へ」と言い、席を振り分ける(2枚目の写真)。ユージェイニオは、プレゼントでもらった(?)インスタント・カメラでフラッシュ撮影しては、プリントされた写真を取り出している(3枚目の写真)。プレゼントの公開が、祖父→母の番になった時、ドヴィジェが「お祖父様が、良き主婦に何を贈られるか楽しみね」と口を出し、包み紙を破ると中から出て来たのは小型の調理器具セット。それをまた、ユージェイニオが写真を撮る。夫が、「見てみろよ、フェルナンダ、いくつできるかな」と言い、解説書を取り出して読み始めると、またユージェイニオが撮影。いきなり、母が、「写真を撮るの止めなさい!」と怒鳴る。貯まっていたイライラが爆発した感じだ。
  
  
  

客が帰ると、母は、「もう寝なさい。12時をまわってるわ」とユージェイニオを強権的に追い払う。その後で、イスにぐったりと座り込む。「くたびれたな」。「妊娠してるからだわ」。この言葉に、夫は驚いて、「何だって?」。「妊娠してる」。「そんな言い方あるか?」。「じゃあ、どう言えば?」。「ホントなのか?」。「そうよ」。「ユージェイニオへのプレゼントだな。きっと弟を欲しがるぞ」。その言葉に、妻は「私は、中絶することに決めたの」と言って席を立つ。フェルナンダはキッチンへ行くと、テーブル上の積み重ねられた皿やボトルを押し出して(1枚目の写真、矢印で皿やビンが傾いているのが分かる)、わざと床に落とす。凄まじい音にジャンカルロがキッチンに行き、「気でも狂ったか?」と非難。「いいこと… 私は実在しているの。皿も割れる、グラスもね」。「何したか分かってるのか?!」。「存在の証明よ。もし、できなかったら、私は存在しない(Dimostrarti che esisto. Se non faccio così, io perte non esisto)」。「何でこんなバカなことを?」。「バカですって! 『弟』 とも言ったわよね。もう限界! なんで『妹』 じゃいけないの!」。そして、「私は、繁殖用のメス豚じゃない。したいようにする。分かった?!!」と食ってかかる。「もうたくさんだ! バカはやめろ!!」(2枚目の写真)。「バカ? そればっかりじゃない!!」。2人の口論は延々と続く。2人は再びキッチンに戻る。「私なしじゃ、トーストも作れない! キッチンでの仕事を全部私に押し付けて!」。そして、また食器を破壊する。「この何ヶ月か、私は良き主婦の役を演じてきた!!」「あんたが、いつかは分かると望んでたけど、分かろうともしなかった! ただ時代遅れの夫の役を演じていただけ」「今夜、あんたは一線を越えた。実験は失敗だったわ。分かれた方がいい」。ジャンカルロは「さよなら。出て行く。二度と会わん」と言うと、玄関にかけてあったコートをはおっただけで、ユージェイニオの目の前を、何も言わずに出て行った(3枚目の写真)。それを見たユージェイニオは、母に、「おじいちゃんのとこに行った方がいい?」と訊くが、返事がないので、寝室に戻ると荷物を作り始める(4枚目の写真)。ここで、「僕はここにいる」の歌が流れる。「過去」の話はこれで終了。映画では描かれないが、この後ユージェイニオには祖父母の家で、以前のように暮らし始める。その後、父が代理で寄こしたバッフォが映画冒頭の事件を起こすことになる。
  
  
  
  

「現在」。ジャンカルロが警察にいると電話が入る。それは、ユージェイニオが、署から24キロ離れた農家の納屋で発見されたというものだった。「来たくない。子牛が産まれるのを見たい」と言っていたということも。父が駆けつけると、ユージェイニオは、産まれたばかりの子牛の横に座っている。「子牛が産まれるとこ見たんだ。お腹から取り出されるところ」と興奮気味に話す(1枚目の写真)。父は、「よかったな。でも、もう行かないと。みんな、お前のことで、一晩中やきもきしてたんだぞ。ロンドン行きの最初の飛行機に乗らないと」。「イギリスなんか行きたくない」。「どうしてロンドンは嫌なんだ? さあ、そう駄々をこねるなよ。ひょっとしてミレーナのせいか?」。「ミレーナ? 僕は、ママの方がいい」。「じゃあ、どうしたいんだ?」。「ここのおじさんが、好きなだけいていいって」。納屋の外では、関係者全員が集まっていて、農場主から状況報告を受けていた。そこにジャンカルロが1人で出てくる。父:「あの子は、イギリスに行きたくないそうだ」。ミレーナ:「なぜ、イギリスに行きたくないの?」。「今の状況では、あの子に強いるのは無理だと思う」。そう言うと、フェルナンダに、「君は、どうなんだ(Tu cosa dici)?」と訊く。当然、引き受けてくれるものと踏んでの問いかけだ。しかし、返事は「最低の失敗ね(Sbagliatissimo)」の一言だけ。ジャンカルロは、次にフェルナンダの祖父母を見る。「どうしたら?」。「我々はオーストラリアに行かないと」。ドヴィジェは、訊かれる前に、「トリスターノに無理強いできないわ」。トリスターノは、「全寮制のいい学校が、幾つもある」。いつからかは分からないが、ユージェイニオは納屋の入口まで出てきて、自分を拒絶する言葉を聞いていた(3枚目の写真)。最後にフェルナンダが、「ママ、ミラノで落ち着くまで1ヶ月頼めない」と打診するが、祖母は、「あなたの妹が待ってるのよ。切符ももう買ってある」と断る。その時、農場主が納屋の入口に立っているユージェイニオに気付く。「あそこにいる」。みんなの注目を浴びたユージェイニオは、背中を向けると納屋の中に入って行った。
  
  
  

全員が、後を追うように納屋に入って行く。しかし、フェルナンダと一緒に来た女性4人が、「何て可愛いの。見て、こんなに小さい」と言って、子牛のところに寄っていくと、他の全員も子牛の周りに集まる。「産まれて何日かな?」。「昨夜産まれたそうだ」… 誰もが子牛に夢中になり、ユージェイニオには目もくれない。1人バッフォだけが振り向いてユージェイニオを見ると、微笑んで、「さあ、お行き」と手で合図する(1枚目の写真)。それに対して、嬉しさと諦めと悲しさを足して3で割ったような表情をするユージェイニオ(2枚目の写真)。そして、全員に背を向けると、ゆっくりと離れて行く(3枚目の写真)。納屋の反対側の出口は明るく輝いている。ユージェイニオは、かつて「飼いたい」と言っていた犬1匹をお供に、光に向かって歩いて行く(4枚目の写真)。農場主は「いてもいい」と言うが、養子にでもしない限り児童の養育権はない。ユージェイニオには、全寮制の学校に行くしかないのだろうか?
  
  
  
  

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